遠くまで行く

生活のリハビリ

ピンク色を選ばない

2023年の5月まで住んでいた家のカーテンはピンク色だった。地元から離れてはじめてひとり暮らしをしたのは2014年。そこから9年と2ヶ月、おなじアパートに住んでいた。

その部屋のピンク色のカーテンは、ひとり暮らしをはじめたときに買ったのではなく、実家にいたときから自分の部屋で使っていたものだったようにも思う。でも、自分で選んだものだ。実家の建て替えをしたあと、たぶん、2012年ごろに買ったもの。

大学1年生のとき、通学用にと最初に買ったトートバッグもうすいピンク色だった。フランフランで買ったシャンプーやコンディショナー、ボディーソープを入れるディスペンサーもピンク色だった。もう手放してしまったけど、折り畳めるミニテーブルもピンク色。きっとほかにもたくさんあるのだろう。

わりと最近、といっても1、2年前、急に思った。私ってピンク色、べつにそんなに好きじゃないな。

びっくりした。

私ってそんな、ピンク色、すきじゃない。

 

思えばはじめて買ってもらった二輪の自転車は、周りの子たちが女の子らしい色合いのものばかりだったのにもかかわらず、私のはなぜか黄緑色だった。黄緑色がいい、と自分で選んでそうなった。

七五三の七歳のときの晴れ着も、ほかの多くの子たちとちがい、私はなぜか緑色だった。それも自分で選んでそうなった。日本に古くからあるようなちょっと青みがかった濃い緑に、差し色の赤。気に入っていたし、私によく似合っていた、と思う。

自転車も、晴れ着も、同級生のだれかに、なんでこの色なのと聞かれた記憶がうっすらあるけれど、私はあんまり気にしていなかった。

つまり、幼い頃に女の子なんだからとピンク色を充てがわれるような両親に育てられたわけではなかった。それがあるときから、なんとなくピンク色を選ぶようになった。いつからなんだろう。

私ってピンク色、そんなに好きじゃないな、という気付きは私にとってはけっこう衝撃で、それから自分は何色がすきなんだろうと考えた。

青が好きだと思った。

うすい、ちょっとグレーがかった水色も、わずかに緑帯びた濃い水色も、ど真ん中の青色もすき。水色とオレンジの組み合わせもすき。

その頃から少しずつ、服のことを考えるようになって、それから化粧のことを考えるようになって、性自認とか、性表現とか、性別のことを考えるようになった。

そういえばユニクロでは、男女兼用のフリース素材の上着が冬に売られているんだけれど、1年前の冬、売り場をうろうろしながら、スマホでオンラインショップの商品ページを見ていたら、オンラインショップではそもそも選択肢にない色味が売り場にはあって、混乱した。

それからメンズの商品ページを見ると、メンズとウィメンズで同じ商品のはずなのに、メンズのページにはいわゆる多くの男性が好みそうな色味が並び、ウィメンズのページにはいわゆる多くの女性が好みそうな色味が並んでいて、グレーとか、ベージュとか、どちらにも表示される色味もあったけど、メンズでしか表示されない色味と、ウィメンズでしか表示されない色味があることに気がついて、めちゃくちゃにびっくりした。

なんの疑いもなくウィメンズのページだけを見ていたら、最初から選べない色があるんだ!と思った。

もっとあからさまな、男は男らしく、とか、女は女らしく、みたいなわかりやすいもの以外でも、知らないうちにこういうことにたくさん巻き込まれているのかもしれない、と思った。

ゲオの子ども向け作品の棚は、私が最後に行った数年前は、男の子向けと女の子向けでジャンル分けされていた。

もっとぐにゃぐにゃになれ、と思うし、もっとぐにゃぐにゃになりたい。

ぐにゃぐにゃの、越境する身体がたくさんあれば、いつかその境界自体もぐにゃぐにゃになるのだ。