遠くまで行く

生活のリハビリ

愛の話をしろ

5年と3ヶ月やっていた風俗の仕事をやめた。2018年の7月から、5年と3ヶ月。長い。小学校に入学したばかりの子どもが、6年生になってしまう。

その前から個人売春はしていた。はじめてした個人売春が何歳のときか、そして相手のことも、会った場所も、なにも覚えていない。

風俗ではじめて接客したお客さんのことも覚えていないが、面接の日のことと、いちばんはじめに、2回目の指名をしてくれた(写真指名のあと本指名が返ってきた)お客さんのことはうっすらと覚えている。その人が使っていた偽名も、利用していたホテルの名前も。

店のスタッフや女の子、お客さんを除いて、今まで会ったことのある人で、風俗の仕事をしている、と話したことのある相手は多くはない。

ハプニングバーで知り合った、(本人の口から聞いたわけではないがトランスジェンダーの)子がはじめてだったと思う。同い年で、私と同様に高校をやめていて、いまは男性向けの風俗店で働いていると当時彼女は私に話してくれた。その子とはそれきり一度も会っていない。

ふたりめは出会い系サイトの男性。

すごく気持ちが落ちていたときに、知らん人と散歩をしたくて、掲示板で募集して会った。どこかで待ち合わせして、荒川とか隅田川のほうを歩いて、どこかの駅で解散した人。赤の他人だし、名前も教えていないし、べつにいいや、それよりも、私が風俗で働いているという事実をたんなる事実としてだれかに知っててほしいと思って、話した。

その人は、風俗嬢だからエロいとか、風俗嬢だからヤらせてもらえるかもしれない(無償で/あるいは有償で)みたいなクソ野郎ではなかったし、興味本位でいろんなことを不躾に聞いてくるような失礼な人間でもなかったけど、別れたあとにもらったメールが気持ち悪い/不快に感じて、あー、結局そんなもんかあと思った記憶がある。

「今日はお会いできてうれしかったです。いろいろお話されていましたが、僕は○○さんのこと、かわいらしいなと思いましたよ」みたいな内容だった気がする。

気持ち悪。

風俗嬢だから、愛に飢えているとか思ってる?性欲じゃない愛情がほしいんだろうとか思ってる?性欲を出さずにかわいらしいとか言われると、喜ぶ、嬉しいと思うと、思ってる?

「かわいらしい」なんて個人的な感情/好意を、一方的に、親しくもないにんげんに、承諾もなく投げかけられることがもう暴力的なんだよ。

男からなんてなにもいらないんだよ、なにもいらない、【なにももらわらなくていいことが、いちばん「もらえてる」ということ】を、男性にはきっと一生わからないんだろうと思った。

3人目は、ごく最近知り合った人。

まだ4回しか会ったことのない人で、話をしたときには3回しか会ったことがなくて、電話も2回しかしたことがなかった。初めて会ったのが2ヶ月前で、連絡先を交換したのは1ヶ月前だった。

数年前からノンバイナリーを自称している人。この人ならいけるかも、差別されないかも、ひかれないかも、偏見の目で見てこないかも、と思った。そっちの可能性に賭けた。

関係性が短かったのもあった。これが2年くらい友だちなら、失うのがこわい。今まで私たちが築いてきたものってなんだったんだろう、と思うと、思う。ネットの出会いではなかったけど、ほぼ共通の知り合いがいなかったのも、匿名性の高い場所で出会ったのもあるかもしれない。そのひとはフェミニストを自称していた。いけるかも、と思って、いけるほうに賭けた。

その人とは、知り合ってから、自分たちの内側の話をたくさんした。わたしの内側の話をその人はたくさん聞いてくれたけど、風俗で働いていることを隠したままだと、わたしの内側のことはどうしても話しきれなくて、歯がゆかった。今まで、きちんとした人間関係を築いている人には誰にも言ってこなかった。誰かに、風俗で働いているじぶんと、関係性を築いてほしくて、本当のじぶんをさらけ出したくて、言ってしまいたかったのだとも思う。

その人はたんたんと聞いてくれた。引かなかった。「仕事は仕事だよ」と言ってくれた。そして、「セックスワーク」という言葉を使ってくれた。詳しくは聞かなかったけれど、昔の恋人がセックスワーカーだった話もしてくれた。

その人にチャットで、じぶんが本業とはべつに風俗でけっこう長く働いていること/これから出勤で、今日で仕事をやめようと思っていること/だから背中を押してほしいということを送って、その日私は風俗をやめた。

その人から夕方ごろに「どうだった?」とメッセージがきて、やめれた!と返信して、そのあと私は店から徒歩で家まで帰りながら(なんとなく、歩いて帰りたい気分だった)、その人は散歩をしながら電話した。その日は満月の次の日で、月、きれいだねーと話して、向こうが家の近くで打ち上げ花火が上がってる!と言っていたら、私のいるところからも小さく同じ花火が見えた。

風俗やめた!!と思った。

その日私はもともと野宿をしようと思っていて(本当は満月の日にするつもりだったのが、前日は曇っていたので、延期したのだ)、その人に一緒にしようよと言って、その人は自転車で私のうちの近くの公園まで40分くらいかけてきて、一緒にお月見野宿をした。

公園にレジャーシートを敷いて、私の缶ビールと、その人のノンアルビールで、私の退職祝い!といって乾杯した。風俗してるっていっても、態度を変えずにいてくれたこと、友だちのままでいてくれたことがありがたかった。

私が、フーゾクで使っていた服とか下着とか全部燃やして焚き火したいよって言ったら笑ってくれた。その焚き火で焼き芋つくって、泣きながら食べたいなあ。さむくて、星がたくさん見えるところで。

これからの生活に不安はある。おもに金銭面で。

でもわたしはもう十分にがんばったし、人間を、男性という理由だけできらいになりたくないな、と思った。

あと、男性が嫌いになってしまったこと以外にも、今のじぶんの抱えている問題/困りごとが、風俗で働いていることと切っても切り離せなくて、風俗をやめない限りなにも変えられないかも、と思ったのもある。

辞める日の前日、べつのことでひどく気持ちが落ち込んで、もう何年も連絡を取っていない昔の友人3人(この人なら久しぶりでも連絡できるかも、と思った人たち)に思い切ってLINEをしたのだけれど、偶然にも3人とも男の人だった。3人ともすぐに返信がきて、ひとりとは通話をして、ほかのふたりともチャットをした。私は失うものもあまりないなと思って、ふだんなら言えないような内面的な話や悩みを話したら、向こうからもなにか打ち明け話のような話をしてもらえたりした。私って昔は男の人を、男の人だという理由だけできらっていなかったんだな、と思った。そのひとたちは、わたしのなかで、男性であるということよりも先に、まずにんげんだった。

また、最近、この人おもしろいかも、もっと話を聞いてみたいかもと思った人がふたりいるけど、その人たちが男性という理由だけで、男がきらいなので、親しくなるのを迷っているじぶんがいるのに気がついた。

男性への嫌悪感が特に加速した2020年の冬からは、男性というだけでふつうの場で知り合った人とも親しくしないようにしたり、親しくなりかけても離れたり、すでに親しかった人の連絡先を消したりしていた。男性の新しい友人は一人も増えなかった。

男性がきらいということは、世の中の半分の人間をきらいだということで、ものすごくやりづらい。

べつに男性を男性という理由で好きになりたい、とは思っていないけど、ただのにんげんのこと、もうきらいになりたくない、と思った。

それから、その出会い系サイトで書いていた昔の日記を読み返す機会があって、風俗をしていなかったころのじぶんに出会い直した、というのも大きかった。ふつうにひとをすきになっていたし、今よりも心がしんでいなかった。でも案外、いまと変わらないところもあったりして、風俗をやってじぶんはもうすっかり前の自分とは変わってしまったのかも、と思っていたけれど、ちゃんと風俗をする前の自分と地続きのわたしを生きているんだ、わたしというにんげんの本質のようなもの、根っこの部分は何も変わってなんかいない、だいじょうぶだ、と思った。

風俗嬢であることは私のアイデンティティでも、私を説明するときにいちばんに挙がることばでもない。ほかのことで、たとえばなにがすきかとかで、わたしはわたしのことを語れる、と思った。

さいきんは本業や貯金との兼ね合いを考えても、風俗をしなければ即座に野垂れ死ぬとか、本業ではとてもつくれない大きな額のお金が必要みたいな状況ではなかったから、やめようと思えばやめられたのだけど、ずるずると続けていて、なにか思い立ったときに勢いでやめないと、やめられないな、と思っていた。今日だ!と思って、その日の朝にその人に連絡して、その日にやめた。

前野健太に「このからだ」という曲がある。仕事をしていてつらかった日々のささえだったうたの歌詞を載せる。

このからだとだけは

ずっと一緒つきあってゆくの

この心とだけは

ずっと一緒やってゆくの

ノートに書いたものは

ずっと一生消えないのかい

窓の外には鳥が

ぴゅっと鳴いて飛んだ

夜はずっと

夜はずっと

夜はずっと 深い

お客さんのなかには当然だが、いろんなひとがいた。私も男性なら女を買っていたのかもしれない。

前野健太は、女を買ううたも歌っている。

セックスワークイズワーク」がフェミニズムのなかでひとつの潮流としてある。

正直セックスワークをしていたときは、この問題についてちゃんと考えるような精神的余裕も時間的余裕もなかった(風俗を始める前からフェミニズムについても、セックスワークについても興味はあったけれど、いざ当事者として働き始めるとそんな余裕はなかった)。

風俗で働く女性の労働環境は改善されるべきだし、風俗嬢だから盗撮されても、乱暴にされても、殺されても、いやなことを言われてもしょうがない、“それも含めてそういう仕事だから”ということは、ぜったいにない。だいたいそこまでの賃金を私たちはもらっていない。というか、すべての人権は、職業に関係なく、職業以外のいっさいのことにも関係なく、尊重されるべきだ。

(そう思うと、セックスワークイズワークというよりも、セックスワーカーイズにんげん、を私は支持したいかも。)

だから、セックスワーカーの労働環境が改善されるべきなのはぜったいにそうであり、セックスワーカーへの差別はなくなるべきであるとは思う。

けど、こんな仕事を、100年後に残したいか?と思う。

ふつうにこんな仕事があっていいのか?と思う。

私はお金がなかったから/親に頼れなかったから、この5年3ヶ月の私は「気持ち悪いおじさんたち」のおかげで生きてこれたわけだけれど。

やめられたから、すこし距離のあるところから考えられるから、フェミニズムのことも合わせて、セックスワークイズワークなのか?という問題を、本なども読みながら、じぶんの頭で、じぶんのことばで考えていきたい。